最近テレビを見なくなってきた。なぜだろう?

・・・という、回りくどい言い回しは、今年からやめようと思う。人生は短い。
最近テレビを見なくなってきた理由は、とても単純で、インターネットのほうが有益な情報が得られる可能性が高くなったからだ。インターネット上のサイトには、良質なものが増えてきている。これは、必ずしもコストに比例していないように感じる。ローテクでも興味の引くものはたくさんある。
中には、ネットでは得られないような質が高く、面白く、そして高い集約度の番組もあるので、それらは大歓迎であるが、時間的拘束によって見逃す確立が高いようである。

リビングを眺めると、妻も、娘も、息子も、あまりテレビを見ていない。
我が家はいまだ、低解像度の一世代前のテレビだが、テレビの解像度が上がったとしても、コンテンツ自身が面白くなければ状況は変わらないと思う。

インターネットで、ビデオ画像がオンデマンドでダウンロードできるようになってくると、「忙しい生活の中で、放映時間に合わせながら、途中で番組をさえぎって大手企業のCMを見せられ、一時停止もできず、内容を調べながら、ゆっくりと考えながら何度も検討することができない」メディアは、なんというか、拘束が強く、非常に隷属的な気持ちにさせられるのである。

活字は、少なくとも、ペースを自分で決めることができるし、興味の無いことに対し無視が容易であるため、そんな気分にはならない。

何に隷属させられているのか?
一方向的なテクノロジーの性格だけが原因ではなく、番組自身もつまらなくなってきているように感じる。

映画は、テレビに比べると、まだ、面白いものが多い。

・良質な番組にスポンサーが金を出す。
・スポンサーが金を出すから番組を作る。

順序を変えただけだが、上記の違いは、作品の質に影響するのではないかと思う。
誰かが、良質な番組を作った結果、スポンサーが出資を考えるようになったはずである。

同じ、メンタリティーとして、

・会社を成功させるために働く
・成功した会社で働く

後者のメンタリティーで参加したメンバーが多い企業は、長い時間をかけておそらく衰退するのではないかと思う。
誰かが、成功の努力をした結果、会社が成功したのである。成功が努力の結果であることを知らない人は、努力しないだろう。

・人間にあわせてシステムを作る。
・システムにあわせて人間が動く。

過去に作られたシステムは、既に現状に適応できなくなってきているのではないか?
現在のシステムは、ある状況の中で誰かが作ったものだと仮定するならば、状況が変わったのであれば、それに適応したシステムが必要だ。

その場合、過去の人たちたが行ってきたのと同様に、新しい枠組みを再構築する必要が、私たちには必要だと考えるが、その新しい枠組みの設計は、容易ではない。

しかしながら、現在の状況を見回すと、何らかの準備は必須事項であると考える。変化、または新しいステージへの備えである。

その準備とは、思考し、勉強し、小規模な実践を繰り返すことから始まる。
それらは、常に、個の発想からはじめる以外にありえない。