現在、コンピューターで映像を視聴する場合、主にAdobe Flash、Microsoft WMV、Apple Quick Time、Oggなどが使われているのだろう。
インターネットではYoutubeで使用されているFlashが、Linuxを含むすべてのプラットフォームで視聴でき守備範囲が広い。しかし、FlashはApple(Macromedia)のプロプライエタリな技術製品である。かなり広範囲で使用されているが、例えばAppleのiPhone, iPadのSafariがそれをサポートしないなど、ベンダー間での軋轢がちらほら見える。
AdobeのCTOがFlash擁護 「HTML5があればFlashは不要」論に反論(ITMedia):
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1002/03/news057.html
FlashはWindowsと同様、非常に多くのユーザーに使用されているがプロプライエタリでありオープンではないため「スタンダード」とは呼ばれず「よく使われている技術」の一つである。
私がWindowsを使う状況の一つは、映画や動画、音楽を視聴するためだが、それは、配布されているコンテンツのフォーマットがWMVやQuick TimeやMP3だからであり、それ以外のコンピューティングは主にLinuxを使用する。Linuxはメディアのハンドリングが弱いが、それはコンテンツのフォーマットがプロプライエタリであり、Linuxのコミュニティは基本的にそういった独占的な技術を使わない。
最近、Linuxを使いながら、机の脇にiPhoneを置いて作業をするようになったが、音楽を同期できないという致命的な点(つまりiTunesが必要で、MacかWindowsが必要だということだが)を除くと、案外心地よい環境である。最近発表されたiPadはどのような環境と経験を提供するのは定かではないが、おもしろい状況が生まれるような気がする。つまり、現在、あらゆる「知的活動」や「欲望」をすべて1つのコンピューターに詰め込もうとしているが、これをいくつかに分けたようなユーザー経験のデザインはおもしろそうなのである。これは、また、別の機会に考えたいと思う。
クラウドコンピューティングという言葉が流通している。
これを、単なるバズワードとして片付けたり、よくできたキャッチコピーとして感心して見せることもできるが、いずれにしても、その言葉がリアリティをもってイメージできる状態にはなっているのは間違いないと思う。
私にとって、この言葉の技術的な裏づけを調べるのはあまり面白い思索ではない。むしろ、この言葉が、ある程度説得力を持ち、現実味を帯びている現象のほうが興味がある。
クラウドのイメージは、「電波」や「放送」に似ている。つまり、テレビやラジオ、および新聞などのメディアを置き換えるかのような印象を与える。テレビをコンピューティング環境に置き換え可能かどうかをイメージしてみることは面白い思考シミュレーションだ。
たとえば、テレビは、スイッチを入れるとたくさんの情報を得ることができるし、楽しめる。このメディアはスポンサーシップに支えらながら、少なくとも数十年、私たちの情報源となり、娯楽を提供してきてくれた。
イギリスでは、受信料を支払わなければ、テレビを見れないらしいのだが、日本の民放は「無料」で、特に面倒な操作を必要とせず、ニュースや映画、バラエティー番組にアクセスでき、日常的にそれを利用してきた。テレビはまさにクラウド的だといえなくも無い。
いうまでも無く、現在のコンピューターの機能性と処理能力はテレビを上回っているし、拡張性が高いし、何より重要な機能は、「コンテンツを作成し、開発し、発信できる」点だ。この機能は個人の創造性を発揮でき、きわめて大きな利点だ。
考えてみるとテレビと放送のシステムは誰でも使える良くできたテクノロジーだと思うし、優れた番組もたくさんある。が、テレビがいかに高機能になったとしても、この「コンテンツ作成能力」や「プログラム開発実行機能」をもてなければ、双方向性は生まれないだろう。そして、一方向の少数の組織が発信する情報の流れだけでは、もはや私たちは満足できなくなってきていると思う。人間は良くも悪くも欲望する生き物だ。そして、人間は進化し変化でき、状況に適応する。
そして、もし、クラウドがクラウドとして機能するためには、こうした端末から発信させるコンテンツを受け入れることのできる能力が求められ、必然的にオープンであり、カスタマイザブルであり、必然的にスケーラブルで無くてはならない。
インターネット+コンピューターテクノロジーが、電波+テレビを包含するには、まだ時間がかかるとは思うが、おそらくいつかそうなると思う。
テレビのように簡単に情報にアクセスできるコンピューター端末やアプリケーション、および、見る価値のあるコンテンツが増えることで、電波に変わるクラウドが実現することになると思う。
そのとき、私たちは今より充実した生活が営めるようになるだろうか?
双方向性からくるオープン性を損なわない限り、楽観的だ。
なんと、青森県のねぶたが、原宿、表参道をねり歩いたとのことである。
http://www.asahi.com/national/update/0123/TKY201001230260.html
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012301000580.html
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100110ddlk13040140000c.html
今年開通予定の青森までの新幹線開通を記念してとのこと。
偶然見かけた人などは、さぞ、驚いたのではないだろうか?
日本でもっとも「おしゃれ」な表参道を、日本でもっとも田舎でうまれた「じょっぱりの美意識」が堂々とねり歩く様は、さぞ、痛快であったろう。
・・・という、回りくどい言い回しは、今年からやめようと思う。人生は短い。
最近テレビを見なくなってきた理由は、とても単純で、インターネットのほうが有益な情報が得られる可能性が高くなったからだ。インターネット上のサイトには、良質なものが増えてきている。これは、必ずしもコストに比例していないように感じる。ローテクでも興味の引くものはたくさんある。
中には、ネットでは得られないような質が高く、面白く、そして高い集約度の番組もあるので、それらは大歓迎であるが、時間的拘束によって見逃す確立が高いようである。
リビングを眺めると、妻も、娘も、息子も、あまりテレビを見ていない。
我が家はいまだ、低解像度の一世代前のテレビだが、テレビの解像度が上がったとしても、コンテンツ自身が面白くなければ状況は変わらないと思う。
インターネットで、ビデオ画像がオンデマンドでダウンロードできるようになってくると、「忙しい生活の中で、放映時間に合わせながら、途中で番組をさえぎって大手企業のCMを見せられ、一時停止もできず、内容を調べながら、ゆっくりと考えながら何度も検討することができない」メディアは、なんというか、拘束が強く、非常に隷属的な気持ちにさせられるのである。
活字は、少なくとも、ペースを自分で決めることができるし、興味の無いことに対し無視が容易であるため、そんな気分にはならない。
何に隷属させられているのか?
一方向的なテクノロジーの性格だけが原因ではなく、番組自身もつまらなくなってきているように感じる。
映画は、テレビに比べると、まだ、面白いものが多い。
年賀状を作成して、お蔵入りにした図案。(IEでは表示できませんでした)
いつか、何らかの形でパーツとして再利用できるかもしれない。(ボツにしたものは結構たくさんある)
背景の、もわーーっとした、赤いグラデーションの効果は気に入っている。
はやりのリフレクト。
ちょっと艶やかに。
年賀状を作成していて、ビットマップ化したロゴを縮小していれると、印刷の際、ピクセルが潰れ、気になるので、この際、ベクターとして変換しました。
ナレッジデザインのロゴは、約12年前、1998年にAdobe Illustratorを使用して作成されました。
当時は、ベクター形式の画像を操作できる数少ないソフトウェアでしたし、そこから生成されるファイル形式はAI形式で独自の物でした。
現在、SVG形式という標準フォーマットがあり、それを操作するInkScapeというツールがあります。文字も含めベクター化されているのでオリジナルを再現できているはずです。
FireFox(1.5以上)では、このテキストの下に、ロゴが表示されるはずです。(Google Chrome is OK. Apple Safari is OK. Apple iPhone Safari is OK. Microsoft IE is NG. )
これが、ビットマップ化されていないオリジナルの純粋なナレッジデザインのロゴです。
私が購読しているJMM(Japan Mail Media)で、デンマーク在住の女性の方が、「親も子もイントラネット」というタイトルでデンマークでの小中学校事情を投稿されていました。(国民学校は9年だそうなので、日本でいうと小中学校に相当するのでしょう)
「平らな国デンマーク/子育ての現場から / 高田ケラー有子」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title2_1.html
日本では、子供に携帯電話を持たせるか、否かが議論されていたりします。
しかし、そういった議論の内容はほとんど場合、深みがありません。
マイナスの面があるから規制しろ、と言うのは、とても簡単なことなですが、便利な点をどういかすか、という議論が少ないように思います。それは、おそらく、通信事業やコンピューターテクノロジーの資本主義、商業主義とも無関係ではないと感じています。
理想的には、ネットワークやコンピューターテクノロジーは、「自分たち、たとえば学校、職場、地域、社会それぞれの単位で、でコントロールででき理解されている」状態を目指すべきであり、売り買いされる「商品」としてだけの観点では、発展は望めないと考えます。
私たちの子供の世代には、コンピューターテクノロジーやネットワークはより発達しているはずです。「規制」するだけでは、リテラシーは身につきません。
その中で、如何に、それを建設的、創造的に使い、それでもかつネット中毒みたいにならず健康的に生きるか? と言うことが大事なのだと感じます。
そのことを、大人がきちんと見せるべきです。
子供は子供で親の想像を越えて賢い面を持っていますが、それでも親や大人の影響は少なくないはずですので、もし、子供に何らかの問題を見つけたら、大人も自分のやっていることを省みる必要があります。
私は先日、電車の中でiPhoneを使ってメールを読んでいたら、中学生の娘に「電車の中で携帯電話を使ってはいけない」と怒られました。
ネットをつまらないことにしか使わないのは、ネットだけが悪いのではなく、使う側の知性も関係しているはずなのです。
設定ファイルの作成
z1.cfg
create -F set autoboot=true set zonepath=/zones/z1 add net set physical=nge0 set address=192.168.1.10 set defrouter=192.168.1.1 end add inherit-pkg-dir set dir=/share end info verify exit
設定ファイルの登録
# zonecfg -z z1 -f z1.cfg zonename: z1 zonepath: /zones/z1 brand: native autoboot: false bootargs: pool: limitpriv: scheduling-class: ip-type: shared inherit-pkg-dir: dir: /lib inherit-pkg-dir: dir: /platform inherit-pkg-dir:
NEC、富士通などが自治体クラウドなるものに着手し、今後増えつづけるであろうITコストの3,4割減を目指すとの記事が掲載されていた。
Web版: http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091207AT1D0409W06122009.html
システムをウェブを通じて統合するのがクラウドだとすれば、それはそれで合理的だし、現在のネットワーク帯域とウェブテクノロジーの成熟を考えれば、十分実現可能であるように感じるが、ただ、この大手新聞の発表では、「ウェブテクノロジー」や「インターネット」ではなく「クラウドを用いて」とある。「クラウド」が実際どのような実装になるのか興味のあるところではある。